親戚の葬儀で感じた事

親戚の葬儀で感じた事

昔は女性は結婚すると家事と育児に追われる毎日でした。戦前は産や育てやで兄弟も10人や9人と多く、主婦は家事、育児だけで精一杯でした。


商売でもやっているならば、毎日大忙し朝早く夜遅くまで家庭を守るために賢明に働き身を粉にして毎日を過ごしていたと聞いています。


今は家電製品の充実もあり女性の家事の負担は随分とすくなくなってきました。子供も3人いれば多く、1人や、子供は産まないスタイルの夫婦もいます。


100年前と現在では随分と女性の生き方が変わってきました。
親戚のおばさんの葬儀に参列して、子育てに賢明な時は寝る間もなく
過ごし、本家となれば親戚が来ることもあり本当に大変だったと思います。


子供の時に本家に行った時に親8人その子供10人位の朝食の用意がされていたことを覚えています。朝食を用意するだけでも大変だと今更ながら思います。


そのおばさんもシニアになり、連れ合いが先に旅立ち、子供達も巣立ち、長男と叔母さんの二人暮らしになり、体を悪くして入退院を繰り返し、それでもたまに姉妹と旅行に行ったり、息子とドライブに行ったりと小さな幸せは沢山あったようで、年齢的にも大往生だったので、少し安堵しました。


昔に比べ今は女性の生き方も自由になったと感じます。自分の為の時間や老後の生き方も様々です。


身近に人が亡くなると、時間が有限だということを改めて感じます。女性の生き方が昔より自由になったのだから、自分の有限な時間を大切に生きなくてはいけないと痛感します。

葬儀という悲しみの席でしたが、おばさんの立派な生き方に安堵したと同時に、喪主である息子さんや兄弟だちも穏やかに葬儀に参列していたのに安心しました。


遺族側の息子さんから、久しぶりだねと声をかけてもらいました。
子供の時以来会っていなく、かれこれ40年位も会ってなかったのです。でも子供の時に一緒に遊んだりご飯を食べたことを覚えていたので、たわいもない会話を交わしました。


40年の月日はお互いの姿の違いに驚くと同時に懐かしく思い出せることも多く、普段なかなか忙しくて会わない親戚や従弟と昔話を交わせる時でもありました。


親戚の叔父さんが葬儀でもなければなかなか会わないと話していたり、親戚のおばさんおじさんの年齢が高齢なので、自分の時の写真はどうするか何て一見不謹慎に思える会話も穏やかにされていました。



おばさんの立派な生き様に安堵し自分の生き様をこれから少し時間をかけて考えなくてはいけないことを改めて深く思い、従弟がいて良かったとか感じました。

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