亡くなった父へ
父は厳格の人でした。昭和の初期生まれなので
言葉もやさしくなく、堅物な父でした。
父自身は猛勉強の末に、公務員となりました。
小さい頃、勉強が分からないから教えて欲しいと言った時に
その頃では珍しい「ホワイトボード」を購入し台を作り
いざ教えてくれる時に、教え方が怖いのです。
自分は出来てわかっているからなのでしよう
教え方の怖さが先に来て、何だか全然分からないのです。
分からないから、面白くなく、結局親子勉強は無駄に終わってしまいました。
父自身は壁一杯に覚えなくてはいけない、単語や数式を貼っていたそうですが・・
興味を持てなかった私は、勉強嫌いな子供になってしまいました。
父に「大学にいくたいなら行かせてあげるから」と言われた事もありましたが、勉強嫌いな私はその申し出はアッサリ断りました。
今思えば、勉強の好きな子になって欲しく進学して欲しいと思っていたのでしようし、自分は進学するのに親が大変な思いをしたから
進学する事の大変さなど、気がつきもしない私でしたが
今になり、子供を進学させる事の大変さを実感し、ありがたい言葉だったのだと思います。
父の娘は勉強嫌いでしたが、なぜか父の孫は勉強好きのな子がいるのです。
私の息子も大学に進学しました。その時の父の喜びようは
「良かったな」と本当に嬉しそうでした。
そして、姉の子供が教員を目指し、何とか合格しました。
父は自分の子供では勉強好きな子供にはならなかったですが
隔世遺伝でしようか?
後、1年待っていれば、教員になれた事を生きているうちに
知れたのに・・
葬儀の時に甥は最後のお別れで、「じーちやん 教師になるから」と
伝えていたのを思い出します。
亡くなってしまった父の仏壇やお墓に報告はするのですが
伝わるのでしようか?
厳格すぎて、いつも怖かったので、あまり好きではなかった父でしたが、介護の時期になり病院に連れて行ったり、トイレにつれて行ったり、病棟で食事の面倒をみたり、私は今になり
もっといろいろな事を教わっておけばよかったとか
もっと出来たことがあるのでは等々思いますが
仕方ありません。
親が亡くなりそのありがたみを感じずにはいられない
おとうさん ありがとう
父はきっと、私達をみていてくれますね